Candle Service

「ロウソクの灯って不思議だよね」

最後のロウソクに火を点しながらアーヴァインが言った。
今日から待降節の第四週。窓辺に吊るしたヒイラギの輪飾りには紅いロウソクが四本。輪飾りとは言っても、いわゆるクリスマスリースとは違い地面に平行になるようにしてリボンで吊るしてあるもので、そこにぐるりと四本のロウソクが立ててあった。見ようによっては冠のように見えなくもない。待降節に入った日からはじめて日曜日ごとにロウソクに火を点していき、これが最後のロウソクだった。アドヴェント・クランツ。アーヴァインはこの時期になると毎年必ずこの習慣を守っていた。
「何」
「いや、こっちの話」

「そう言えば、あんた何でそれだけは欠かさずやってるんだ?」
「アドヴェント・クランツ?」
「そう。別にツリーとかは出してないだろ?」
「うん……そうだね」
指先で軽く突付いて、押し黙る。ロウソクと同じ紅いリボンに揺れながら、小さな輪飾りはくるりと回った。
くしゃん。
ふいにくしゃみをしてアーヴァインは肩のあたりをさする。日が傾きはじめていた。
「そんなところにいつまでも突っ立っているからだ」
手招きをして、ストーブの前を空けてやる。隣に座ったアーヴァインは、擦り寄ってきた猫の子を膝に乗せてその背を撫でた。しばらくして子猫の安心しきった寝息が聞こえ出した頃、思い出したように話し出した。
「…彼女のこと覚えてる?」


海を臨む石の家。家族を失い、友を失い、行き場を無くした子供の集う家。子供たちの中には親の顔さえ覚えていない者も多かったが、おおむね楽しくやっていた。そこに、その少女は居た。
「マリア!」
家の主であり、子供たちの母親代わりでもあるイデアが慌てて飛び込んできた。マリアと呼ばれた少女は、その大きな瞳を瞬かせて振り向くと、子供らしい笑顔でイデアを見つめた。
「なぁに、ママ先生」
“ママ先生”とは子供たちがイデアを呼ぶのに用いた称だ。誰が最初に言い出したのかは定かではなかったが、おそらくはマリアが言い出しっぺではなかったかと思われる。彼女は活発と言うほどではなかったが、明るい、笑顔の耐えない娘だった。皆に好かれ、愛されていた。くるくるのハニーブロンドに色素の薄い大きな瞳。見る角度によってはピンクにも見え、それが不思議な印象を持たせていた。
「駄目じゃない、ちゃんと寝ていなくちゃ。昨日まであんなに熱があったんですもの」
そう言ってマリアの額に手を当てたイデアに、マリアは笑いながら言い返す。
「あら、熱なんてどこかに行ってしまったわ! 今日は気分が良いの。だからもう少しここに居ても良いでしょう? それに今日はクリスマス・イヴなのよ、ママ先生!」
イデアは頬に手を当てて深く考え込むような様子を見せていたが、やがて諦めたのか嘆息してマリアに言った。
「仕方ないわ、一日だけ。気分が悪くなったら部屋に戻ること、良いわね?」
「えぇ、もちろんだわ」
「エルオーネ! それからアーヴァイン、スコール。何かあったらすぐに知らせて」
マリアは生まれつき身体が弱く、しょっちゅう熱を出しては一人部屋に篭っていた。食事中にいきなり倒れて周りを冷や冷やさせる、などということも珍しくない。医者は二十歳まで生きられるかどうかわからないと言ったそうだが、そのことをマリアが知っていたのかどうか。彼女は熱のあるときでも無いときでも、努めて皆と共に過ごそうとしていたし、少しでも気分が良ければ外の景色を見たがった。思えばそれは、残された期間を無駄にはしたくないという意志の表れだったのかもしれない。
「エルオーネ、ちょっと来て」
イデアは年長の少女を呼び出すと、扉の陰で何やら耳打ちをしたようだった。マリアは全く気にとめていなかったようだが、後の二人は心配そうに扉の向こうを窺った。途中、エルオーネの肩がびくりと震えたのが見え、二人は顔を見合わせた。

「何の話だったの…?」
話を終えて戻ってきたとき、いつもと何ら変わった様子は見せず、聞いたアーヴァインに彼女はただ笑って首を振るだけだった。
「さあさあ、せっかくのクリスマスなんだもの。今日はまだイヴだけれど、クリスマスのお祝いをしましょう」
イデアが言った。
「まだ準備してないよ?」
そう言ったのはアーヴァイン。
「だから、今からするの。そしたら夕方にはできるわね?」
くしゃりとアーヴァインの髪を撫でてエルオーネが言った。その横で、マリアは静かに笑っている。
「他の子達を呼んでくるから、三人は先にはじめていて。飾りくらい作れるでしょう」
イデアとエルオーネがそう言い残して部屋を後にすると、残された三人は早速部屋の飾り作りを開始した。マリアは画用紙にクレヨンで、アーヴァインは色紙を切抜いて、そしてスコールは小さなカードに色鉛筆で。めいめいが思い思いに星や雪などのモチーフを作り出していった。時たまマリアが咳き込んで、二人が休むよう呼びかける場面もあったが、マリアは頑なにそれを拒否し、作業は続けられた。

「ねぇ、神様って居ると思う?」
画用紙に視線を落としたまま、マリアが不意に呟いた。
「神様?」
「そう。前に絵本で呼んだの、クリスマスっていうのは神様の生まれた日なんですって」
色鉛筆を器用に指先で回しながらスコールが反論する。
「神様じゃなくてキリストじゃないの?」
「どっちでも同じことよ。ねぇ、貴方は神様って信じる?」
「…どうかなぁ。考えたこともない」
「そう」
マリアは新しい画用紙を取り出してから、スコールに向かってにこりとした。
「じゃあ、貴方は?」
「僕?」
星型の最後の一変を切り出して、アーヴァインは首をかしげる。そして、スコールと同じようにわからないと答えると、マリアはちょっと哀しそうな顔をした。
「私はね、神様なんて居ないと思う」
「どうして?」
「神様は人間ていうのは皆平等だって言ってる。でも本当にそうかしら」
マリアの画用紙には天使が描かれていた。しかし、その顔には表情が無い。
「どうして私たちはここに居るの?」
天使の羽根はだらりと下を向き、樹上には光る輪も無い。飛べない天使。それはもはや天使ではなかった。天使なんて見たことないもの、と彼女は言い、輪の代わりに星を描いた。
「…じゃあクリスマスも嫌い?」
どこか泣きそうな顔付きでスコールが尋ねる。マリアは軽く頭を振ると、いいえと明るく否定した。
「お祭りとしてのクリスマスは好きよ。もみの木やヒイラギの飾りも可愛いわ」
「ケーキも食べられるしね」
重くなった空気を払おうとでもいうようにアーヴァインが茶化してみせた。気付いたスコールが何それと言って笑い出し、マリアもつられて微笑んだ。それからすぐにエルオーネ達がやって来たので結局この話はここで終わりとなり、祝いの準備は何事も無く進んでいった。


「…ああ、忘れてない」
揺れるロウソクの火を見ながら、記憶の奥底にある少女の姿を思い出していた。
「次の日彼女は死んだんだ」
薄目を開けて一声あげた猫の顎を指の腹で撫でてやって、アーヴァインは静かに言った。
「クリスマスの祝いは楽しかった。皆自分の宝物なんか交換したりしてさ…僕はマリアの宝物を貰ったんだ。その夜、容態が急変し…そのまま死んでしまった」
「ああ」
多分彼女は知っていたのだ。自分があの日死ぬことを。だから我侭を言ってまで皆と一緒に居たがったのだ、と思う。
「彼女の宝物ってのは何だったんだ?」
何分昔のことで、しかもすぐ後に一騒動あったのだ。その辺りの記憶は曖昧だった。
「ロウソクだよ」
窓の外に目を移せば、遠くに星が見えていた。


淡いグリーンの箱の中には色とりどりのロウソクが入っていた。大きさも形もばらばらの、それがマリアの宝物だった。
「ロウソク?」
「そうよ、私の宝物。私はロウソクが好きなの」
「ふうん…どうして?」
「ロウソクの火を見ていると何だかほっとするの。マッチや焚き火は駄目。もちろん電灯なんてもってのほか」
マリアは箱から一本取り出すと、目の高さに掲げてみせた。
「消えそうで消えない、そこが好きなのかもしれないわ」
私と同じ。最後にポツリと呟いて、彼女は手にしたそれを箱に戻した。アーヴァインは箱のふたを閉め、彼女に突き出す。
「全部僕が貰ったら、マリアの分が無くなっちゃうよ?」
「………良いのよ」
突き出された箱を軽く押し返し、マリアは笑って答えた。
「私にはもう必要ないもの」
「?」
アーヴァインが、言われた言葉の意味がつかめずに首をかしげていると、部屋の向こうから誰かが彼を呼ぶ声がした。それでも尚考え込んでいると、マリアがポン、と肩を押した。
「ほら、セフィが呼んでるじゃない?」
「え、あ、うん」
箱を抱えたまま走っていく背中を見送りながら、彼女はそっと目を閉じた。
「そう、もう必要ないもの」

夜も一時を過ぎた頃だったろうか。暗く寝静まった子供部屋に、せわしない足音が駆け抜けた。イデアが深刻な表情で部屋に入って来、まずはエルオーネが起された。彼女は何も言わず、ただイデアにうなずいてみせると、上着を羽織って共に出て行った。まだ年端の行かない幼い子たちはそのまま寝かせられた。起された、或いは物音に気付いて飛び起きた者だけが互いの顔を不安そうに眺めていた。やがてイデアが戻って来て子供たちにあれやこれやと指示を出し始めると、家内は次第に騒がしさを増していった。
アーヴァインはマリアの部屋に呼ばれた。普段は滅多に入ることの無い、白い部屋だった。ここは他の子供部屋からは離れた位置にあり、向かいがイデアの部屋になっている。そして時折彼女の様子を見る、というのがイデアの日課でもあった。その日、いつものように様子を見に来たイデアが、高熱に苦しむマリアを見つけたのは、だからいつもと何ら変わったことではない筈だった。
「マリア!」
ベッドに横たわったマリアの頬は酷い熱のために紅潮し、その額には脂汗が光っていた。
「アーヴァイン! しばらくここに居て頂戴。私はママ先生のところに行ってこなくちゃ」
マリアに付き添っていたエルオーネが、言うなり部屋を飛び出していった。アーヴァインは近くの椅子を引っ張ってくると、ベッドの脇に腰をおろしてマリアの手を取った。
「マリア、マリア、しっかりして!」
「…ああ、あーびん…皆は何処?」
「すぐに来るよ! それにお医者さんも」
マリアはかすかに微笑んだようだった。
「……無駄だわ。もう…ね」
「マリア!!」
「あーびん? お願いが…お願いがあるの…」
「何?」
「さっきのね…あの…ロウソクね、どれでも良いの。私が死んだら皆で点して?」
「駄目だよ。死ぬなんて!」
「ね、お願い」
きっと、最後は半泣きだっただろう。アーヴァインはうん、うんとうなずきながら、彼女の手をぎゅっと握り締めた。ありがとう、と彼女は安心したように目を瞑り、空いたもう片方の手を高く中空へと伸ばした。

「ねぇ、アーヴァイン? やっぱり神様なんて居なかったわね……」

ぱたりと腕が下ろされ、それきりマリアは気を失った。

隣街から医者を連れ、慌てて戻ってきたイデアとエルオーネは、それから夜通し看病を続けていたが、早朝まだ日の高く昇らぬ内にマリアはその命の火を消した。窓辺には、火の消されたアドヴェント・クランツが寂しそうに風に揺れていた。


「不謹慎かもしれないけどね、神なんて居ないと言ったときの彼女はとても綺麗だったんだ」
アーヴァインの膝では、何も知らない猫が大あくびをして伸びをする。
「その顔と、あの窓のクランツがどうしても頭から離れなくて、この時期が来ると飾らずにいられなくなった」
「アーヴァイン…」
「あれから色んな本を読んだよ。聖書、神話、民間伝承、その他何でもね。神学の研究書なんてものにも手を出した。おかげでクリスマスについても詳しくなった」
「……」
記憶の中で、マリアが笑っているのが見えた。
「でも、わからないんだ」
うつむいて、アーヴァインは呟いた。今にも、泣きそうな顔をして。
「神は、居るのか居ないのか」
手を伸ばし、アーヴァインの頭を引き寄せると、そのまま抱きかかえるように腕を回した.。斜めになった膝から転げ落ちた猫が不服そうに鼻を鳴らし、そして丸くなった。
「なんでマリアはあんなこと言ったんだろう?」
「……」
「何が言いたかったんだろう?」
「……」
「いつか、わかるようになるかなぁ?」
「…多分、きっと」
少しだけ腕に力を込めると、アーヴァインは身体を寄せて顔をうずめた。

回るアドヴェント・クランツの上で、四本のロウソクはただ静かに光っているだけ。聖母と同じ名前の少女は、今はもう何処にも居ない。