Forget-Me-Not

彼は言った、「覚えてない」と。その一言がこんなにも僕を苦しめていたのに。



石で出来た古い孤児院。大好きな友達とやさしいまま先生。幼い頃の記憶は鮮明で。あの頃僕はこんな日が来るなんて思ってもいなかった。隣で眠るスコールの横顔を見ながら、ふとそんなことを考えた。

「アービン~今度のオフっていつ~?」
「何、急に。確か来週の土曜だったと思うけど」
教室で学習用パネルをいじっていたら、セルフィがやってきた。片手にウサギのメモ帳を持っている。それには何かの表らしきものが書かれているようだが、こちらからではよく見えない。
「土曜日…と。あ、じゃあねぇスコールのオフは~?」
「それなら今週の金曜と来週の土曜から4日間だよ」
彼女はメモ帳に何やら書き込んでから、しばらくそのページとにらめっこを続けていた。気になって覗き込むと、彼女を始めキスティス、ゼル、それに今聞き出した僕とスコールのオフ日が一覧表で示されていた。
「何なの、コレ」
「む~。ねぇアービン、日曜は空けられない?」
「日曜って来週の? どうかな…ちょっと無理すれば何とかなるとは思う…けど。ってだから~何なのそれは」
セルフィは昔から何かひとつのことに集中すると周りのことが見えなくなるタイプだった。今もそれは変わっていない。
「あっ! えっとね、さっきまま先生とキスティの三人で話してたんだけど~。昔みんなでタイムカプセル埋めたの覚えてる? 十年後に、って言ってたのにもう過ぎちゃったから掘り出しに行こうかな~って」
もちろん僕が忘れているはずが無い。今まで言わなかったのはみんなが思い出すまで待ちたかったから。そう、特に彼に。
「そういえば覚えてる~? あの時アービンとスコール途中でどっか行っちゃって。戻ってきたと思ったら別のところに埋めてきたとか言うしさ~…結局何だったの?」
「よく覚えてるねセフィ。忘れてたんじゃないの?」
「えへへ。ホントはついさっき思い出したんだけどね~?」
「やっぱり。でも秘密」
「え~!?」
しつこく食い下がろうとするセフィを何とか振りきって、そのまま僕はスコールの部屋へ向かった。

セルフィの話をスコールに伝えると、案の定タイムカプセルのことは覚えていないようだった。二人だけ違うところに埋めたことについても「忘れた」とつれない返事。
「本当に何も覚えてない?」
「悪かったな」
「無理に思い出せとは言わないけど。でも君さ、僕のことばっかり一つも覚えてないって言うのはひどいと思わない?」
そうなのだ。他の人のことならちょっとしたきっかけで思い出すことが出来ると言うのに、僕に関することは全くと言って良いほど思い出せないのだという。始めはそのうち思い出すこともあるだろうと諦めていたが、さすがに最近心配になってきた。
「覚えてないんだから仕方ないだろ? 大体そんな昔のことにこだわらなくたって良いじゃないか」
ぷうっと頬を膨らませてスコールが言った。
「こだわってるわけじゃないんだけどね…」
くやしいでしょ? 自分だけ思い出してもらえないというのは。
忘れてしまうにしても、僕じゃなくてゼルでもサイファーでも誰だってよかったのに。どうして僕なんだろう。
「…そんなに大切なものだったのか? その、埋めた物…」
僕が相当へこんでいると思ったのか、どことなくすまなさそうにスコールが尋ねてきた。
君は全然覚えてないみたいだけど、僕にとってはすごく大事な想い出。
あの日、二人で約束したんだ。


「セフィ、何だよそれ」
「何ってクマのクリス君だよ!! サイファーも知ってるでしょ?」
子供の頭ほどの大きさの茶色いクマのぬいぐるみ。それを大事そうに抱えているのはセルフィだ。
「そうじゃなくてよ、お前そいつがないと眠れないんじゃなかったか?」
「そうよ。いっつもクリス君はどこ~? って大騒ぎするくせに」
「大丈夫だもん! もう一人で寝られるんだから~!!」
「ホントかしらねぇ」
「どうだか」
げらげらと大笑いしながらセフィをからかっているのはサイファーとキスティス。エルオーネが居なくなってから、ここに居る子供達の中で一番年長なのはこの二人だ。
一週間前にまま先生の提案でタイムカプセルを埋めようということになった。各自で入れる物を用意して、今日はいよいよそれを埋める日だ。
タイムカプセルを掘り出すのは十年後。その時にまだ僕達が一緒にいられるのかどうかは分からない。だから何か記念になるようなものを入れようと思ったんだけど…結局何が良いのかわからなくて何も用意していない。

「ねぇアービン、大丈夫?」
ベッドの脇の小さな椅子に腰掛けてスコールが顔を覗き込んでいた。彼は風邪を引いて熱を出し、ベッドに臥せっている僕について朝からずっとそこに居る。普段ならありえないことだが、今回ばかりは少し事情が違っていた。
「ごめんね。僕が熱出せばよかったのに」
「ん、大丈夫だよ~。今日はスコールもついててくれるし、ね?」
笑って答えてみたけれど、少し無理していたのがばれてしまったのか、彼は心配そうな顔で眉をひそめた。

昨日は夕方から雨が降った。エルオーネが居なくなってからまだ日が浅いせいもあり、一番なついていたスコールは彼女の帰りを待つと言って外で一人座りこんでいた。
スコールがそんなことをするのは決まって雨の日。その理由はいたって単純で、エルオーネがここを去ったのが雨の日だったからだ。
そんなわけで彼は昨日もそうして彼女の帰りを待っていた。僕はと言えば…これも毎度のことなのだが…冷たい雨が体温を奪ってゆくのもかまわず、ただひたすらに座りつづけるスコールを見かねて声を掛けた。

「寒くない? 風邪引くよ」
「……平気」
そう言いながらも彼の身体は小刻みに震えていた。意地っ張りなのはいつものこと。本当に思っていることを誰にも打ち明けようとしない。どんなに寂しくても絶対に他人には見せようともしない。僕はそんなスコールと”友達”になりたかった。
用意してきた毛布をスコールの肩にかけて、自分もその隣にしゃがみこんだ。
「?」
「一人で居てもつまらないでしょ? だから僕も一緒に待っててあげる。それにこうしていれば寒くないよ」
スコールは少し驚いた顔をして、それから消え入りそうな声でポツリと呟いた。
「…ありがと」

その後僕達は会話らしい会話もせず、疲れて眠りこけるまでそこに居た。さすがに心配したまま先生が僕ら二人を連れ戻したのは夜の8時過ぎ。
その頃には雨も小振りになってきてはいたものの、夕方からずっと冷たい外気に身を晒していたせいなのか、僕は情けないことにすっかり風邪を引いてしまったのだった。

「アービンは何を入れるの?」
とたとたと足音を響かせながらセルフィが走り寄って来た。
「わかんない」
「決まらないの? えっと~じゃあ決めたら持ってきて。外に居るから」
「うん」
彼女は来た時と同じように元気に走り去っていった。その後ろ姿を見送ってから視線を戻せば、スコールも同じようにして彼女の出ていった方を見つめていた。
「スコールはもう決めてある?」
小さく首を横に振る。
「そっか…ん~そうだねぇ。どうしよっか?」
二人で頭をひねってみたけれど、良いアイディアは浮かばない。少しして何気なく移した視線の先にあったのは、僕達よりも一足早く引き取られていった子からの絵葉書。



「そうだ!! 僕、君に手紙書くよ。十年後のスコールに」
「手紙?」
「そ。スコールもそうすれば? 誰か…エルお姉ちゃん…とかにでも」
僕の提案にしばらくは思案顔で黙っていたスコールは、やがてふっと微笑んでこう言った。
「…そうだね。そうするよ」

淡いブルーの便箋に僕の想いを綴っていく。僕は君の”友達”になれているのかな――?

僕より先に書き始めたはずのスコールの便箋が、宛名以外未だ何も書き込まれていないのに気が付いて、手元を覗きこもうとしたら、素早く腕で隠されてしまった。
「誰に出すの?」
「教えない」
むう、それくらい良いじゃないか。スコールのけち。
結局書き終わってからも僕には見せてくれなかった。それは他の子達にも同様で、特にサイファーなぞ
「あいつ絶対からかうから」
という理由で一緒に埋めるのでさえ嫌がった。タイムカプセルに入れるために書いたのだから、これでは本末転倒なのでは…? まぁそこがスコールらしいといえばそれまでだけど。
「しょうがないな~。それじゃ違うところに埋めようよ。行こ」
「アービン、熱…!!」
「平気平気。僕良いところ知ってるんだ。ついてきて」
本当はまだちょっとだけぼうっとしていたのだけれど。僕はベッドから飛び起きて、みんなに見つからないように裏口から抜け出した。

石の家の裏手を抜けて灯台へ。緩やかな上り坂を小走りに駆けて行き、灯台の入口が近づいてくれば、そこに見えるは藍色の小さな海。
「勿忘草だ」
軽く息を弾ませながらスコールが呟いた。
「綺麗でしょ? 多分みんなは知らないんじゃないかな。あんまりこっちには来ないし」
「…いで」
「え?」
「お姉ちゃんに教わったんだ。『私を忘れないで』勿忘草の花言葉だよ」
忘れないで…か。それならこの手紙を入れるのに丁度良いじゃない?
一生懸命手で土を掻いて穴を掘り、持ってきたお菓子の空き缶に二通の手紙をしまいこんでその中へ。その上から丁寧に土をかけて、目印にと小石を置けば終了。服についた土をはたきながら立ちあがる。
「ここに埋めたことはみんなには秘密だからね?」
「もちろん。十年経ったら一緒に掘り出そうね」
「うん、約束」
青い花の真中で指きりげんまん。きっと十年したら二人で来ようね。

「あ~! 居た!! 何処行ってたの~?」
「もう埋めちゃったわよ?」
急いで戻ってきたのに早速二人に見つかってしまった。
「僕達も埋めてきたんだ。別のとこにね」
何処にとか何でとか色々と質問してきたけれど、スコールも僕も絶対に口を割らなかった。だってこれは二人だけの秘密なんだから。


「…で、全く覚えてないワケね」
半ば諦めにも似た気持ちで確認してみる。
「全然。でも誰宛の手紙だったんだろうな、その手紙」
僕だって知らない。それだけは頑として教えてくれなかったのは君でしょう、スコール。

約束の日曜日。久々に訪れたイデアの家はさらに荒廃が進んでいる様子で、庭の草花だけが生き生きと春の日に輝いていた。
「よっしゃ! 掘ったるでぇ~!!」
張り切るセルフィ達から離れて、僕は石段に座って所在無げに遠くを見ているスコールのところへ歩いていった。
「僕達も掘りに行こっか」
「…何処だか覚えてないんだけど」
「大丈夫だって。僕はちゃ~んと覚えてるからさ」
僕は一応キスティスに断っておいてからスコールを連れて坂道を登っていった。
あの日と同じ深い海の色。昔より数は減ってしまったようだけれど、花は確かに変わらず咲いていた。
「?」
スコールの歩みが止まる。その顔は何かを必死に思い出そうとしているようだった。
「これ…この花…勿忘草?」
「うん? そうだけど…?」
何を言わんとしているのかいまいち掴みきれない。ここに勿忘草が咲いていたことはさっき話したはずだし。
「黒い缶で、これくらいの大きさで…確か俺は白い封筒に…って、あ!!」
「ななな何!?」
何を思い出したのか、急に走り出すとある一点で立ち止まり、その足元の土を熱心に掘り始めた。慌てて僕もそれを手伝う。
「あった!!」
薄汚れた缶を地面から取り出してふたを空けようとしたところで横からスコールに缶ごと奪い取られてしまった。それから彼は中から1通の手紙を抜き取ると、すぐに自分のポケットに突っ込んでそそくさとその場を離れようとした。
「スコール!? 何、どうしたの?」
僕は彼の肩に手をかけて引き止まらせることに成功する。正面に回って顔を覗き込んでみれば、こころなしかその頬は紅く染まっていた。
「スコール、君思い出したんだ。手紙、誰宛だったの?」
「…教えない」
そう言ってふいと僕から顔をそらす。
「ふうん? この期に及んでまだそんなことを言いますか。いいよ、そっちがその気なら…」
言いながら素早くポケットに手を伸ばし、中から封筒を引き抜いた。
「な…! あっ待て、よせってアーヴァイン!!」
「え~と。ん? これ僕宛じゃない?」
結構驚いた。当時のスコールを思い返してみても、まさかエルお姉ちゃん以外に出すなんて考えられなかったし、しかもそれが僕だなんて予想外もいいとこだ。
何としてでも読ますまいとするスコールの妨害を振りきって封筒の封を切る。
「あ…」

「それで、なんて書いてあったのよ」
いつもの食堂のいつもの席。僕の隣で呆れたような顔をしてコーヒーを飲んでいるのはキスティスだ。
「えへへ~、秘密~vv」
「ったく…この前戻ってきた時からずっとそんな調子じゃない。はっきり言って鬱陶しいことこの上ないわよ!?」
「ひどいな~、鬱陶しいなんて言わないでよ。だって仕方ないでしょ~? 僕今すごく幸せなんだから♪」
「だから、それが鬱陶しいって言うのよ! もういいわ、聞いた私がバカだった」
そう言い放つと彼女はその場に僕を残して席を立った。

食堂を去るキスティスにひらひらと手を振ってから、一人になったところで胸ポケットに忍ばせた例の封筒を取り出した。
中に書かれているのはたった数行の短いメッセージ。けれどもそれは僕が予想だにしなかったもので、尚且つスコールが僕のことを覚えてないなんていうちっぽけな悩みを吹き飛ばすに十分なほど僕を喜ばせてくれたものだ。
自分の気持ちなどを人に伝えるのが苦手なスコールが、それでも一生懸命考えて書いたのだろう。所々掠れたインクがそれを物語っている。
「それに今回は思い出してくれたみたいだしね…?」
独り言ちて便箋を開く。
Dear Irvine

You are always be my side, aren’t you?
Although words cannot convey how glad I am, I say many thanks to you for your kindness.
――― I like you a lot.
Squall