Pierced Earring

一番初めにそれに気が付いたのはキスティスだった。あいつはまだ気が付いていない。いや、気が付かないフリをしているだけなのかもしれないが。
「あら? あなた貴石(いし)替えたのね」
書類の山を一通り片付けて、一息つこうとしたときだった。コーヒーでもいれてくるわね、と言って立ち上がった彼女の目に、髪をかき上げた俺の左耳が触れた。
彼女が言っているのは小さな貴石の付いたピアス。今まで付けていたのはどれも同じようなシルバーの、何の飾り気もないシンプルなものばかりだった。
「アクアマリン? …にしては少し色が濃いかしら」
貴石の種類など気にして選んだわけではないので、正直に知らないと答えると
「ああ、なるほど。綺麗な色ね…」
そう言って微笑んだ。

ふらりと立ち寄った店で見るともなしにうろついていたとき、ふと覗き込んだショーケース。その隅の方にあったピアスが目に止まった。少しだけくすんだ空の色。春の日の波打際にあるような、そんな色の。
気付いた時には既に店員に声を掛けていた。そして俺よりも2、3歳年上らしいその若い女性の店員の、彼女にプレゼントなんて羨ましいわねという言葉に曖昧に笑って誤魔化したりしながら、結局買ってしまったのだった。
買ってきてしばらくは箱に入れたまま眺めていた。何も考えずに買ってきたは良いものの、これを見たらあいつはなんて言うだろうか。これがセルフィとかなら確実にからかわれるであろうことは容易に想像できるのだが。

仕事を終え、部屋に戻ったのは午後3時過ぎ。小腹がすいたなと思ったところでアーヴァインがやって来た。持って来たケーキはセルフィに分けてもらったのだという。何でも新しい店が出来たとかで、ついついたくさん買いこんでしまったのだそうだ。
「本当は全部自分で食べたかったんだけどって悔しがってた。あとで感想教えろってさ」

本やらレポートやらが雑然と積みあがった机を片付けてスペースを作り、そこに数種類のケーキを並べる。ここにあるだけでも8個以上。一体彼女はいくつ買ってきたのだろう、食べる分だけ買ってくれば良いようなものだが。
「…スコール? ケーキ嫌いだったっけ?」
アーヴァインは俺が呆れた顔をしているのを何と勘違いしたのか、見当違いの事を質問してくる。そうじゃない、数に驚いただけだと答えて向き直ると、良かった~という安堵の溜息と笑いが漏れた。

折角だからと買ってきたばかりの紅茶をいれることにしてカップを2つ用意する。基本的に俺はコーヒー党なので、紅茶党のアーヴァインが来た時ぐらいしか飲まない。だからこれはアーヴァインのために用意していたようなもので、自分でもそのことには苦笑いをしてしまう。

1個目を軽く平らげ、2個目に手を伸ばそうとして止める。
「何だよ」
「ううん、別に~。ソレ、自分で買ったの?」
一瞬『ソレ』が何を指しているのかが解らず首を傾げると、アーヴァインはこれこれ、と自分のピアスをトントンと叩いた。
「珍しいよね、スコールがシルバー以外のものを着けてるのってさ」
どうしたの? などと面白そうに訊ねてくる。この表情は全部解っていて言っているに違いない。アーヴァインはいつもそうだ。何だかちょっと悔しくなって、別にと嘯いた。
すると咽の奥で笑いを噛み殺したようなくっくっ…という音が聞こえ、益々悔しさが増した俺は、大きく切ったショートケーキを無理やり口に押し込んだ。
「スコール、クリームが付いてる」
言われて俺が手で拭うよりも早く、こちらへ身を乗り出したアーヴァインが口端に付いた生クリームを舐め取ってしまった。そのあと驚いてフォークを取り落としそうになった俺を見て、何やってるの、とこれまた可笑しそうに咽で笑った。

「ね、穴開けるの自分でやった?」
しばらくしてやっと笑うのを止めると、突然こんなことを聞いてきた。俺が、安全ピンで9歳の時にと言うと痛かった? 冷やした? と矢継ぎ早に質問を投げ掛けてくる。
そうしていくつかの質問に答えてやると、急にこちらへぐっと顔を近づけ俺の耳元で言った。
「僕の瞳と同じ色だね」
普段よりもトーンを落とした低い声。息が掛かった部分から全身に熱が広がっていくのが判る。

次にアーヴァインは少しだけ身体を離して正面から覗き込むかたちになると、調子を元に戻してところで…と続けた。
「知ってる? ピアス開けるのって自己嫌悪の象徴なんだって」
知らない、そんなこと。言われてみれば確かにその通りなのかもしれない。わざと自分の身体に穴を開けて異物を入れる、なんて行為は自分で自分の存在を確認しているようなもの。しかしそれはどこか別の行為にも似ている。

知らずじっとアーヴァインの瞳を見ていた。熱が俺の身体を包み込んでいく。

名前を呼ばれて我に返った。アーヴァインはそんな俺の様子を見て少しだけ困った顔をし、しょうがないなぁと言った。
「だからさ、スコールが自分を好きになれない分は僕が埋めてあげるから」
だってそう言うことでしょ? このピアスを選んだ理由は、と笑いながら付け足して傍を離れようとした。が、ふと何かに気が付いて身体を引き戻す。
そしてまたもやくつくつと笑い出したかと思うと、先の低音に幾分か艶っぽい調子を上乗せして囁いた。
「ね、スコール…ベッド行こうか」

――熱は当分醒めそうに無い。