Tears

泣きたくなったのはどうしてなんだろう―――



たまたま休暇を貰ったので、少し遠くまで足を伸ばしてみた。いつか通った路の外れ、小さな村の教会に。何があったというわけでもない。ただ、来てみたくなっただけだ。

「お兄ちゃんもお祈りに来たの?」
小さな女の子が無邪気な顔で話し掛けてくる。手には真赤な毛糸の手袋。母親の手作りなのだろう、左右の大きさがいびつだった。
「ああ…そうだね」
ちょっと迷ってそう答えた。
「この村の人じゃないよね? 何処から来たの?」
「遠くから」
「ふぅん」
女の子の頭を軽く撫でてやって、別れを告げた。彼女は後でツリーの点火祭があるよ、と言って走って行った。振り返ってよくよく見てみれば、教会の正面に立つ大きな木にライトがかけてあった。安物の電球ではあるが、天辺には星型の飾りも付いている。

何の用意もせずにふらりとやって来たので宿はとっていなかった。けれど元からしてこの村自体特に観光地と言うわけではなく、宿らしい宿は無い。行くとするなら隣町に出る他無いが、それさえ乗合バスが数時間に一本という具合だった。日が沈んでしまえばそれも殆ど無くなってしまうだろう。幸い歩いて行けないというほどの距離ではなさそうなので、散歩がてらのんびり向かうのも良いかもしれない。そう決心して、先の女の子が教えてくれた点火祭とやらを見物することにした。

教会の前にはちらほらと村人達が集まり始めていた。背の高い初老の牧師が子供たちと共に準備をしている。かなり腹のでっぷりしている肉屋の親父や背の丸くなった老婆など、どの顔ぶれも楽しそうに寒い風邪に鼻を赤くしながら談笑していた。
「あ!」
女の子が自分を見つけ、駆け寄ってきた。白い息を弾ませて、首にはさっきはしていなかった、手袋とお揃いの赤いマフラーを巻いていた。
「木の周りにね、ロウソクを立てるの。お兄ちゃんも一緒にお手伝いしようよ!」
「いいよ」
それじゃあと手を引いて連れて行かれた。他の子供たちは不思議そうに、そして牧師は何も言わずにただ笑顔で迎え入れた。
「これをね、こうやって…ホラ、こうすると倒れないんだよ?」
積もった雪を周りに寄せ集めてロウソクの入ったガラスの器を支えるように固めながら、女の子は得意げに言った。すっと横に立った牧師が、マッチを差し出して言った。
「子供達が並べた灯りに、こちら側から火を点けていって下さいますか。反対側からは私が点けていきますから」
差し出されたマッチ箱を受け取って、端から順に火を点していった。色とりどりのガラスの器に光が反射して、真白い雪に良く映えた。
「僕のにも点けて!」
「こっちも!」
「えー? こっちのが先だよぅ」
子供達は押し合い圧し合いしながら次々に声を上げる。牧師は順番ですからね、と言ってそれを宥めていた。
全ての灯りに火が点ると、七色に輝く淡い光が静かに木の根元を照らし出した。いつの間にか太陽は大分西に傾き、空はピンクの、もしくは紫に蒼が混じったような微妙な色合いを見せていた。準備を全て整えた牧師が子供達に言って紙片を村人に配らせ始めると、いよいよ点火祭の始まりだった。紙片には聖歌の歌詞が書かれていて、二つほど載せられた歌はどちらもこの時期お馴染みのクリスマス・ソングだった。

少しだけ輪から離れて立っていたら、あの女の子がまたやって来て顔を見上げて言った。
「お兄ちゃんのお友達はいないの?」
「友達?」
「さっきからずっと一人で立ってるから」
「ああ…」
連れて来なかったんだと言ったら、寂しくない? と聞いてきたので、どうかな、とだけ答えた。
「君は? 他の子と一緒に歌えば良いのに」
「皆私を避けてるから」
「…何故?」
「私ね、あの牧師さまのところに住んでいるの。お母さんもお父さんも居なくなっちゃった」
お父さんが悪いことをして捕まってしまったの。お母さんは私を置いて逃げちゃった。この手袋も牧師さまの手作りよ? 明るい顔で彼女は楽しそうに話した。
聖書の一節が牧師によって朗読されていた。ルカによる福音書第2章14節。

いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。

「皆お母さんに言われてるの、あの子と遊んじゃ駄目よ…って」
平和そのものに見えるこの小さな村の、暗い一面。どこにでもある話ではあるけれど。
「辛くないか?」
「うん、全然平気。牧師さまはとても優しいもの」
一瞬の静寂の後、祈祷が始まった。彼女も胸の前で手を組んで、頭を垂れた。信仰心はかけらも持ってはいないけれど、やはり皆に倣って手を組んでみた。

天の父なる神様、貴方を崇め御名を褒め称えます―――

どうかこの日、世界中の人が御子の降誕を心に留め―――

全ての人に平和と希望とを覚えさせてください―――

「…主イエス・キリストの御名を通し、御前にお捧げ致します」
「アーメン」
一同が唱えたとき、ツリーのライトが一斉に灯された。わぁと歓声をあげる者、うっとりと見上げる者。村人の反応は様々で、隣の彼女はそれをゆっくり眺めていた。
「お兄ちゃんはこれからどうするの?」
「隣町まで」
「…歩いて?」
「ああ」
「大変じゃない?」
何とかなるさ、と笑ってみせた。顔を上げたら教会の入り口に佇む牧師と目が合って、牧師はやはり黙って笑っていた。軽く会釈だけしてその場を後にした。彼女が大きな声でさようならと言ったのは、その姿が小さく見えるようになった頃だった。背後にはツリーがどこか哀しげに光を放っていた。

村の入り口には石造りの橋かかっていた。短く、小さいけれど重厚な作りの橋だった。そこを越えて通りへ出れば、あとは道形に真直ぐ行けば良いだけだ。
ふと、橋の向こうに人影を認めた。暗くてよく見えなかったが、こちらが近付いていくと片手を上げて合図してきた。
「お帰り、スコール」
「……!」
誰に告げることなくやって来たはずだったのに、どうやってここまでたどり着いたのだろう。いつものテンガロンを被って、そこに居たのはアーヴァインだった。
「お前…どうして…」
「ん~、愛のチカラ?」
なんてね、寒いから早く帰ろうよ。言って向こう端に停めたバイクを指差した。
「実はアレ借り物なんだよね~。転んで傷でもつけたら大変…って、え? ちょっと!?」

驚いた。自分でも知らない内に涙が流れていた。
「スコール…?」
おたおたとアーヴァインは手を伸ばし、背に手を回して抱きしめた。
「何か、ヤなことでもあった?」
「違う」
「じゃあ…寂しかった?」
「解らない」
「……そっか」
ぽんぽんと子供にするように背中を叩かれて、少しだけ気が楽になった。多分涙が出たのは安堵だったのかもしれない。それはあの女の子にとっての牧師と同じ。誰に指を指されても、コイツだけは大丈夫。きっと、見捨てたりしないでいてくれる。

「スコール」
「……」
「遠回りして帰ろっか」
にこりと笑ってアーヴァインは、身体を離して手を取った。手を引かれて歩いたその間に、振り返って見た村にはツリーの星が瞬いて見えた。